デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか

 今月の読書会の課題図書はこちらでした。

まずはじめに書いておくと、タイトル(邦題)はミスリードです。笑

 

おそらく原題は”The Wealth of Humans”だと思うのですが、

こちらの方が(当然ながら)内容に即しています。

 

 

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか―労働力余剰と人類の富

デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか―労働力余剰と人類の富

 

 

課題設定としては、

デジタル化が進み、労働力余剰が発生した際に、

どのように富を分配するのかということでした。

 

後半は富の再分配ということで、

ベーシックインカムのあり方の話なんかも出てきたのですが、

個人的に面白いと思った点をいくつかあげます。

 

1.テクノロジーが生まれてから、実際に社会で活用されるまでには数十年のタイムラグがある

第二次世界大戦を通じて、コンピュータを用いて計算をすることの有用性が認識され、現在のコンピュータ産業の土台が築かれた。

かの有名なムーアの法則が提唱されたのは1965年。

確かに約50年でコンピュータは私たちの生活を便利にしましたが、

産業革命の時ほどの大きなインパクトはまだ起こっていないのではないか?

 

これに対する筆者の解は、革新的な発明が社会を帰るには、社会がその有効な活用法を学ばなければならないということです。

実際に、電気の利用法をめぐる主要な発見は1870〜80年代になされたものの、

電気が家庭に普及したのは1920年代になってからで、ここにも50年のタイムラグがあるというのです。

 

2.雇用のトリレンマ:「高い生産性と高い給料」「自動化に対する抵抗力」「大量の労働者を雇用する可能性」の3つを同時に満たすことはできない

→これは、例えば高い生産性と高い給料、大量の雇用が生まれたとするなら、企業の経営者は自動化により雇用者の削減を図ろうとする。また、自動化に対する抵抗力が十分にあり、大量の労働者が雇用されるような場合には、自動化するよりも大量の労働者を雇用する方が安く済むような場合であり、高い給料は達成されない。ということです。

 

つまり、テクノロジーの進展により、自動化が進む。これにより労働力の余剰は増え相対的に労働者の交渉力が低下するために、賃金は低下します。そうすると、企業は自動化への投資をせず、労働者を低賃金で雇うと言った状況が生まれるのです。

 

3.強力なソーシャルキャピタルを有するコミュニティに、外部から人が入ることでそのソーシャルキャピタルを移転することができる。

→近年の企業価値は、物的なものではなくその企業が持つ独自の文化やノウハウなど目に見えないものが多くを占めます。都市においても同様で、人々の繋がりやその都市において共有されている非物質的な文化が価値を有しています。

これらは容易に外部へ移転できるものではない一方、外部から入ってきた人がこのソーシャルキャピタルを得ることは可能ということです。

 

自分のメモ程度なので、雑に書いてしまいましたが、

ポイント、ポイントは非常に学ぶことの多い書籍でした。